旋回と跳躍と

フィギュアスケートに関してあれこれ思い巡らせたことの記録です。過去に出したものもまとめているため、時系列は歪んでいます。

[etude#1] Hommage to Charlie

2023年7月1日、町田樹さんとAtelier t.e.r.mによるエチュードプロジェクトが始動しました。

予告として5月2日のトークショー(プリンスアイスワールド横浜公演の期間に行われたイベントの2次会)でティザー映像の披露があり、それから2か月とても楽しみにしていました。

別名は「みんなのフィギュア作品プロジェクト」。ピアノのバイエルやツェルニーのような練習プログラムとして、誰でも滑ってよいとのこと。
プロジェクトのためにYoutubeが開設されました!


www.youtube.com

イントロ10秒間は足は静止、上半身の動きのみ。町田さんらしく、バレエを思わせるアームスの流れが美しいです。
そして左フォアでスタート… えっ?スタート即スリーターン?しかもダブルスリー、いやツイズル?続いてチョクトー? ええっ?

一般人が練習するには難しすぎる!!あまりの衝撃に笑ってしまいました。
これはピアノに喩えたらショパンエチュードですよね。上級者向けテクニック満載の練習曲。誰でも練習していいと言われましても。
今後レクチャー動画が続くそうですが、基礎レベルのやさしい振付バージョンがあるのでしょうか。うーん。


気を取り直して、楽譜上で構成をつかむことにしました。

★はジャンプ・ホップ、●はスピン★
0:00表記は動画再生時間の目安です

 

スタートはショートサイド、リンク北側の幕前。左右に円を描きながら優美なストレートラインステップで南へ向かっていく流れは、「Basil’s Glory」の第2幕を思い出します。

口笛の響きにのせてゆったりと舞っているように見えますが、目立つものをちょっと書き出しただけでたくさんの技が詰め込まれています。

曲全体は約2分10秒。公的な競技ではない愛好家(いわゆる大人スケーター)の大会だと演技時間は短いものが多いですが、イントロとアウトロで時間調整すれば収まるでしょうか。しかし、ジャンプやスピンを簡単にしても、こんなにステップ盛りだくさんのプログラム滑るのは大変ですよ。実際は5級相当、少なくとも3級は持っていないと挑戦するにもキツい内容ではないでしょうか。19-20小節目だけスリーターンを書き込んであります。スケートは週イチでリンクに行くかどうかくらいの趣味で、級も取っていないレベルの自分が練習できそうなフレーズを探したら、そこしかなかったです…。

この楽譜をつくっていたら、町田さんのインタビューが公開されました。

worldfigureskating-web.jp

アドバイスとして、パートごとに滑り込むこと、たとえばサーキュラーステップだけ…と話しています。なるほど、サーキュラーステップは3Tの出からの4小節ですね。スパイラルまでで一周の円になります。
スパイラルを降りて、つなぎ2小節で南へ向かいます。ショートサイド端から北端の幕前クロスオーバーまでが、少し蛇行が小さめではありますがサーペンタインステップのように見えます。

ステップのあと、終盤は華やかな技が続きます。
曲がリタルダンドしてフェルマータで伸びるところでイナバウアー、そして3T。
アウトローでスピン、さらにリフレインでピボット。

上半身は姿勢よく、腕の表現はシンプルに大きく広げる動きが中心で、エッジに乗ったスケーティングが強調されているのは「お手本」「教本」らしいところです。そしてステップを様式をふまえた軌道で実施し、氷上を十全に使って技を見せるのは、町田さんがこだわるところだと思います。

トレースは6パートに分け、色でわけた2パート1組を1枚の図にしてみました。

1)スタート、ストレートラインステップと3Tまで

 

 

2)サーキュラーステップサーペンタインステップ

 

3)イナバウアーからスピン、フィニッシュまで

 


全体ではどうなるかというと…

 

 

いやぁ、難しいですね!(笑)


実は、前回2022年のトークショーで参加者からの質問を募集された際「大人スケーターでも滑れるような練習用プログラムを振付してみませんか」という質問のフリをした要望を出しました。質問用紙は抽選箱からクジ引き形式でいくつか読まれたのですが、なんとその要望も読み上げていただけたのです。勢いで書いたので詳細は忘れてしまいましたが、振付や曲の編集を依頼してプログラムを作るのは時間的・経済的にハードルが高いこと、練習に使える簡単なプログラムがほしいことを伝えたと思います。

そのときは、ピアノを習っていたことがあるという板垣龍佑アナウンサーが「ピアノだとバイエルやツェルニーがあるから、フィギュアスケートにも練習曲があるといい」と言ってくれたのです。(ちなみに2022年はプロフェッショナルピースプロジェクトとして「ショパンの夜に」が発表され、ついでにその日は町田さんと板垣さんがお互いを教授、ピアニスト呼ばわりして弄りあうという仲良しエピソードが披露されて、ピアノは旬な話題でした)

板垣さんのフォローは「それそれ!」ととても嬉しかったのですが、町田さんはあまりノリ気なふうでもなく、上を見て「あぁ、そうですね」と考える様子でさほど肯定的な反応ではなかったのです。今思えば、すでに準備を進めていたプロジェクトに被っていたため具体的なことを話せなかったのかもしれません。

本当にプロジェクトとして実現するなんて大歓喜だったのですが、ティザー映像に映る町田さんは連続ターンしたり陸ジャンプしたり、ずいぶんと本格的なトレーニングを繰り広げていました。初心者や大人スケーターの指導はしていない町田さんが現場をどのようにとらえているのか、どんな内容になるだろうかという懐疑はありました。

毎日新聞の連載コラムでも3回転を戻したことを書いていて(2023/5/1「アスリートを知る旅路(その3)」)、もしかしたら難易度別にプログラムをいくつか作るのか、あるいは別のプロジェクトに備えているのだろうかと勘繰ったり。

トークショーでの発表時点で、町田さんは1つの技を習得するプログラムになっていると明かしていました。てっきり初心者でも挑戦できる技で、上級者は応用パターンを美しく実施するような練習になるのかと思っていたのですが、それがまさか3回転ジャンプの習得だなんて。予想の上すぎるレベルでした。

 

前回のブログ(といっても3年前です)にも書いたのですが、大学教員は研究者であるだけでなく、教育者でもあります。町田さんの常勤先は教職課程をとる学生が多い大学でもあり、教えること、指導することを課題として向き合っているように感じます。そうした経験の上での、フィギュアスケートの教材を作るプロジェクトなのでしょう。

チャーリーをトゥループとアニメの原作者名にかけていたり、作品としての設計はよく練られていて、遊び心もあってオリジナリティに溢れています。映像と音楽の収録編集をプロに依頼し、一級の教材にしたいというプライドのような熱意も感じます。町田さん、本領発揮してますよね。本気でこれをみんなに滑ってほしいと考えているのでしょう。

うーん、本気ですか。うん、本気ですよね~。

 

この数年は一般向けのバレエやヨガのワークショップも開催されていて、それらは本当に初心者向け体験講座というレベルで、説明はわかりやすく、運動としても無理のないものでした。なにより町田さんによるお手本は基本の動作ひとつでも丁寧に行き届いていて、ためになるワークショップでした。

フィギュアスケートの練習プロジェクトもそういうものを期待していたのですが、とんでもなく高度なレベルを提示されてしまいました。まったく、町田さんの作品に驚き困惑するのは何度目でしょうか。続くレクチャー動画がどう展開するか、予想できなくてハラハラしています。

ついに単行本刊行④

感想のような読解メモのようなもの、続き。

第Ⅳ部の社会調査分析は、私も嬉々としてアンケートに回答した身なので、研究の役に立てたのかどうか大変気になっていました。回答形式が多様で自由記述が多く、これは回答集計するのが大変そう、一人じゃ無理なデータ量だし、ほんとうに社会調査になるの?と心配でした。
設問は件の方々と検討したものだったのですね。音楽ジャンルの選択肢が妙に細かくて、町田さん主観のアンケート設計ではなさそうと思っていました… 集計作業にも協力があったようですね。

 分析内容はほとんど文化経済学会で発表(※1)されたものでしょうか。
鑑賞者の特性解釈として5点あげられていますが(pp.222-223)、肌感覚でわかっていたことがこの調査結果でもそのままだった、というところでしょう。
申し訳ないけれど、何をどう読んでも「回答してるの、あなたのファンですから」とつっこんでしまう。回収率8割なんて異様ですものね。ファンとしては協力できたのは嬉しいけど、バイアスかかりすぎです。町田さんの出ないアイスショーで実施すべきでした。
表8(p.227)のジャンル間転送の発生率などは、特定スケーターのファンかどうかより、個人客かツアー参加者か、リピーターかどうかといった客層の差で比較を見てみたかったです。

 第2章前半、「間テクスト性」について第Ⅲ部のリッポンの《牧神の午後》解説を踏まえて論じている箇所では、町田さんの思惟をひたひたと感じました。第I部で既に「観賞者の解釈」について論じていますが(p.63)、作者の意図を読解するには観る者の知識が必要で、その享受能力は文化資本に左右されるとする(これを社会調査で分析しようとしている)。
そのなかで「作者の意図と鑑賞者の解釈が必ずしも一致するというわけではない」と断りながら、次のように述べています。

作品を媒介にした意図と解釈による価値の創造こそが、アートをアートたらしめているからである。(p.213)

この前後 数ページを読みながら、町田さんは、フィギュアスケートを観る人たちに、作品についてもっと語ってほしいのかなぁ…と思ったのです。
《牧神の午後》について新たな解釈があれば知りたいし、町田さん自身が創ってきた作品についても理解を深めてほしがっているのではないでしょうか。それこそ、こちらの個人的な読解にすぎませんが。
振付師、演者が意図していなかったとしても(無意識に影響されていたということも含め)、プログラムの芸術性を評価するために、様々な角度から解釈し、批評することを求めています。町田さん自身は解説の仕事によってジャッジによる採点を超えた評価を試みていますが、観る側にも、感想や作品解釈を伝えることを望んでいるのではないかと思います。
考えてみれば、競技者引退後ファンによるプレゼントを辞退していたのに、スケーター引退前後は出版社による読者企画(※2)を喜んでくれたのです。あれは、たくさんの人から作品への反応を受け取れたからなのでしょう。

第Ⅴ部は、スケートリンクが減る一方なので、数字で現状を見せつけられて、だいぶ読むのしんどかったです。リンクを管理運営する2社への聞き取り調査による分析はおもしろいですが、レジャーとして人気があったのに、札幌冬季五輪によって「みるスポーツ」に価値観がシフトしたという話は、説得力あるだけに皮肉すぎました。
希望のもてる話題は江戸川区におけるスケート教育で、ずいぶんしっかりカリキュラム化されているのに驚きます。こうした実践は、公的機関や教育する側にスケートへの理解がなければ始まりません。
図4(p.256)のスケート競技者の推移がありますが、指導員の数が減り続けているのが驚きでした。リンクが減っているというのは指導員の職場が減っているわけで、実に厳しい現状です。

第Ⅵ部は決定版作品集に収録されていた論文が中心なので、既知かな~と思ってさらっと読んでいたのですが。表2(pp.328-329)がなかなか衝撃でした、ページをめくったら文献情報の「完璧町田」が目に入ってきました(笑)
ファンに社会調査したのも相当ですが、こういうのを「映像に添付すべきデータ」と自分で書いちゃうの、強いですよね(笑)

映像アーカイブの重要性は、いつも試合やアイスショーを全員放送してほしがっているファンなので全面肯定ですが。テレビ放送を動画配信サイトにアップするのは違法なので、それを資料として参照せざるを得ないのは危うい現状だと思います。日本国内は特にテレビ局に放映権を渡して他の撮影を禁じているので、何らかの形で公開して、誰でも合法的にアクセスできるようにしてほしいです。

 

最後まで読み通して。
町田さんは本当にフィギュアスケートが広く深く理解されるよう、スケーターたちが守られるよう願っていて。自分の立場からフィギュアスケートの価値を伝えようとして、研究や社会活動をしているのだと改めて感じました。

ところで、大学の教員になると研究だけに没頭できるわけではなくて、学生の指導や裏方の大学運営にも関わっていくわけですが、実技の授業はどこまで続けるつもりなのでしょう。
リンクがある学校は限られています。スケーターが学校の先生になってもスケートの実技を教えることは難しい。
でも町田さんはダンスの授業を教えることができている。中学校の体育でダンスが必修になったので、大学でもダンスを一般教養科目として設置しているところが増えました。町田さんが早いうちから実技を教えることを狙っていたのかどうかわかりませんが、専攻を問わず全国の大学で授業を担当できるのは有利です。
学生にスケートを教えるのはまず設備的に難しいだろうけど、スケートへの関心をもたせる授業をしてくれているといいなと思います。彼らがリンクの近くに住んだとき、子供にスケートをさせる可能性が少しでも上がってほしい。もし教職についたら、学校でのスケート教育に関わってくれるかもしれないですし。
そして教育を通じてでも、身体を動かすこと、表現することを続けていてほしいと願ってしまいます。そこはどうしてもファン目線になってしまって、しかたないですね。

第Ⅳ部についての感想で、作品を語ることについて書きました。このブログには町田さんの作品についての自分なりのトレース図を載せていますが、書きかけで放置していたのを見直して、また追加していこうかなと、ようやく思えました。
ジャンプやスピンを見分けられない上に、音楽や舞踊の知識も乏しく、ライブでフィギュアスケートを観るときは興奮してわぁわぁ言うだけの享受能力ですが。
今までただ「美しい表現」くらいに認識していたものを、aestheticかartisticか考えてみるだけでもおもしろそうです。

この本を読んで教わった視座をちょっと意識して、映像を見直してみようかと思っています。

 


※1:発表内容は「アーティスティック・スポーツプロダクトから文化芸術市場への〈ジャンル間転送〉現象の考察 —— フィギュアスケート鑑賞者の消費行動分析を主軸として」(『文化経済学』第15巻第2号)に収録
※2:
町田樹の世界』での振付作品に贈る言葉、『町田樹の地平』でのファンアート画像の投稿企画

ついに単行本刊行③

感想のようなもの、続き。対象の書籍はこちら
第Ⅲ部は、町田さんによる詳しすぎるプログラム解説というだけで期待しちゃうのですが。
もちろん軽い論調ではなく、ずっしりみっちり重いこと重いこと。第Ⅰ部でaestheticとartisticの違いや、ルールと表現の関係などについて考えた上で第Ⅱ部の著作物性の話が展開されていて、それが分析の前提となって第Ⅲ部のプログラム評釈につながります。ああ、順を追って長々読んできてよかった…

以前、町田さんがフィギュアスケートの採点構造を「技術点」「芸術点」と説明したことが気になっていました(※)。そのときは本題から外れるので詳しい説明がなく、フィギュアスケートの採点といえばTESとPCSなので、どうも腑に落ちなかったのです。どういう意図なのか、AS全体もしくは一般聴衆に通じる言葉として広義で用いたのか。それがこの第Ⅲ部まで読んできて、合点がいきました。

フィギュアスケートのTESは技術点になります。これはさほど異論はないでしょう。そして技の出来栄えはGOEとしてTESに加算されます。「流れがある」「明確である」「独創的である」「音楽に合っている」など、エレメンツごとの判定基準があり、基準を満たした項目が増えればGOEは上がります。
そして、TESは芸術的評価ではありません。そこで認められる美しさは、artisticではなくaestheticとしてです。この判断は、第Ⅰ部から読んでくると導かれます。図1(p.123)もそのシンプルな分類です。独創性や音楽性というと芸術的評価をしているようですが、TESにおいては判定基準の要素であり、技の難度や質の評価なのです。

なんだか逆説的になってきますが、自分の理解のために続けます。
注意しておきたいのは、TESの対象項目であるジャンプやスピンといったエレメンツには、難度や質という技術点評価しかないわけではなく、芸術表現としての価値もあるということ。第Ⅱ部の図2(p.85)に示されていますが、芸術点の対象範囲にTESの各エレメンツも入っています。

ですが技術点がエレメンツ単体について数値評価されるのに対し、芸術点については個別に点数が設定されて評価されるわけではありません。音楽によくあったジャンプを跳んだとしても、芸術表現としてはプログラム全体としてPCSで相対的に評価されます。
町田さんは現役最後のシーズンに何度か「ジャンプは表現の一部」「プログラムの為にジャンプがある」といった発言をしていました。当時から、ジャンプは技術点のためだけに実施するのではなく、プログラムの芸術性を構成する一部である、と意識していたのでしょう。

また、PCSを芸術点としたものの、5大要素のうち「スケーティングスキル」は異質で芸術性は要求されていない、本来は「技術点」の対象であると指摘しています(p.125)。町田さんは採点批判やジャッジ非難はしませんが、採点方法にはこのあたりに不十分さを感じていそうです。

「技術点」「芸術点」は一般向けではなく、むしろ突き詰めて考えたからこその用語だったのだなぁと、個人的には2年以上のモヤモヤが晴れてよかったです。

でも何が技術点で何が芸術点か、ここまで気をつけて見ていないですよね。選手でさえ区別していないかもしれません。だからこその研究なわけですが、町田さんがもっと主張していかないと意識付けされないのではないかと思います。

それから、解説することについて。
第Ⅲ部第1章では、技術点は絶対評価にも相対評価にも対応できるが、芸術点は相対評価しかなく、いくら数値化してもその競技会の中での優劣評価でしかないと指摘されています。

「〇〇選手の演技の芸術点が〇点だった」との記述は、いったいその演技の芸術性の何を説明しているのだろうか。ここに芸術性を点数により評価することの限界がある。(p.133)

ただASの芸術点に限っては、芸術性の真価どころか何も実質を伴わない。そのような点数の蓄積を、果たして歴史と呼べるだろうか。(p.134)

だいぶ語気の強い問いかけです。
芸術表現を点数化すること、相対評価することを否定しているわけではないと思います。芸術的表現があるスポーツだと認めたなら、競技会である以上、そこを細分化して数値的に評価しないわけにはいかない。
ただし数値だけではASの芸術的表現すべては伝わらない、評価しきれない。
だからテレビで解説を務めたり、雑誌で独断で勝手な賞を贈ったりして、評価不足を補おうとしているんですよね。

町田さんは、単に経験者として、また収入だけのために解説の仕事をしているのではない。他の選手と比べて相対評価するのではなく、スケーターあるいはプログラムに対して個々に言語評価できる機会と捉えて、オファーを受けている。評価することへ責任や自負があって、仕事されているのだと思いました。

ここまででだいぶ長くなってしまいました。

リッポンの《牧神の午後》評釈については、それこそ本文を読んで映像を見てほしいのだろうと思うので、感想は何点かだけ。

フィギュア・ノーテーションについてですが、表5(pp.158-162)はステップのトレースだけでなく、任務動作か任意動作かの区別と、上半身の特徴的な動きについても一覧になっていて、いやはや労作です。Crossoverにおける任務と任意の違いやMergedにした意図など、演技映像を確認せずにいられませんでした。素人には截然と区別しがたいところです。

ニジンスキーの《牧神の午後》が「絵画的バレエ」と称されていることを踏まえての、リッポンのプログラムで象徴的な振付がロングサイドから二次元に配置されていることなど、空間を意識した解説は町田さんの知見あってこそで、面白かったです。深読みかもしれないことを「筆者の間読み性によって解釈された美質」(p.213)と自分で言ってるのも。町田さんなら振付師や実演者に直接コンタクトをとって意図を確認することもできそうですが、あえて客観的に解釈したかったのでしょうか。

引っかかったのは、p.183で「360度鑑賞に堪え得る」と書かれていること。町田さんは『アイスショーの世界4』のコラムからやたら「360度観照」という言葉を使っています。どうやら美術関係で「正面観照性」という言葉があるようなのですが、私としては「観照」は内面的な用語なのに、そこに360度や正面なんて具体的な語をつけて限定するのに違和感がありました。「観賞」もしくは「鑑賞」でいいのに。精神性をふくめ表現をダイレクトにとらえてほしくて「観照」の語を使ったのかなぁなんて考えてみたのですが、しっくりこなくて。なぜここでは「鑑賞」にしたのでしょうね。「観照」はp.211 に出てくるのですが、それも私の語釈とはズレがあります。
町田さんは「相貌」という語を、身体全体から発せられる気概やオーラのような意味を含めたものとして頻用されていますが、これも私は「顔かたち」という物理的な意味が先に浮かぶので受け入れがたいです。この言葉のきっかけは尼ケ崎彬『ダンス・クリティーク』だそうで、この本はとても面白く読んだのですが、そこに出てきた「相貌」の語に特別な意味は感じませんでした(笑)
観照」や「相貌」を町田さんが意識して使っていることは理解するのですが、既にある言葉を再定義されると違和感も出てしまいますね。「アーティスティックスポーツ」も英語との違いが難しいですが。一方、「任務動作」「任意動作」はオリジナルに定義した語で、持論が貫かれていてすばらしいと思います。

それにしてもクロース・リーディングは時間も労力も膨大にかかりますね。町田さんの解説は今まで生放送では行なわれておらず、録画放送で資料を用意して臨まれています。私はそのほうが向いていると思っているので生放送を望んだことはないのですが、分析をしてから解説を行いたいというポリシーを改めて感じました。

第Ⅲ部を読み終わってから動画投稿サイトでリッポンの《牧神の午後》の映像を見てみましたが、第一印象が「競技プロって速い!!」でした。
プログラムは初見ではないのですが、《牧神の午後》というと自分の中ではジョン・カリーの映画で観たゆったりしたイメージに置き換わっていたようです。
今季はアイスショーも試合も中止が続いているので、早くまたあの風を感じに行きたいと、なんだか切なくなってしまいました。

長くてしょうがないですが、読解のためのメモを残したいので、第Ⅳ部以降もまた書きます。

 

※2017年11月22日慶應義塾大学SFC オープンリサーチフォーラム2017 におけるスポンサーセッション「AI時代のアーティスティック・スポーツ:人間と人工知能による相互補完的なスポーツ採点の可能性」にて。スライドを使って話されていました。

ついに単行本刊行②


町田さんの著書、一通り読み終わりました。
気になったところを読み返しながら感想のようなものを書いておきます。

第Ⅰ部はスポーツはアートか否か論争について。美的(aesthetic)と芸術的(artistic)の概念や、表現の主体はどこにあるか、ルール設計や競技会という状況、鑑賞者の認識について洗い出していきます。かなり抽象的で、哲学しちゃう章でした。

でも、肯定派も否定派も分析が足りない!競技ルール虱潰しに調べてやった!どうだ、まとめたぞ!という得意げな達成感が文章の端々に出ていて、面白かったです。


ベストとワーツの論争については舞踊学会のエッセーでも載せていましたが、このときはかなりざっくりな紹介だったので正直「ふーん…?」という感じでした。この章では論点整理しつつ人名や時代背景が具体的に書かれているので、イメージしやすくてだいぶ理解が進んだ気がします。

町田さんはアーティスティックスポーツ(AS)という語を提唱していて、馴染みやすい言葉だと思いますが、英語のArtistic Sportsだと採点競技全般を指すというのは厄介ですね。
説明のなかで、定型化された技を実施する競技、器械体操などを「便宜的に」フォーマリスティックスポーツ (formalistic sport)と呼んでいますが、この切り分けはかなり重要。
フォーマリスティックスポーツには美的ではあるが独創性・創作性はないと説明されています。これはつまり、あとに出てくる「任務動作」の比率が高い競技ということです。

アートか否か論争は観念的に陥りやすくてわかりづらいですが、要点は章末の表1(p.70)にまとまっていました。

というか、この章は表が1つしかないんですね。もうちょっと作表してほしかったな。
pp.50-51で13競技を羅列してルールを抜粋してるけど、脚注がもはや脚注ではなくなっているので、一覧表にしたほうがすっきりしたと思います。
でもしかたないか、まっちー、ぜんぶ数えてつらつら読みあげるの大好きだし。

 

第Ⅱ部は、ASは著作権法の保護対象となるかどうか、著作物の定義を丁寧に確認しながら、ASのプログラムにおける表現とは何かについても論じていきます。創作的に表現されたものかどうかの判断が重要ですが、第Ⅰ部で芸術や表現の概念をあーだこーだと考えてきたあとなので、頭に入ってきやすかったです。いやぁ、第Ⅰ部がんばって読んだ甲斐がありました。

著作物における創作要素・単位を「言語」と「舞踊」で対比させたのは、とても工夫されていると思います。
言語だと、単語ひとつひとつや熟語・慣用句には著作物性は認められないが、文章・文学作品になると著作物性が出てくる。これはわかりやすい。
それをバレエならパ、パのバリエーション、演目に。フィギュアスケートならステップなどの要素、シークエンス、プログラムに当てはめることで、分類の助けにしています。
これは2019年の知財学会誌の論文「著作権法によるアーティスティック・スポーツの保護の可能性 —— 振付を対象とした著作物性の画定をめぐる判断基準の検討」に既に載っていて、面白くて納得できる論理展開だなと思っていました。分析に苦心されたでしょうね。
表2(pp.98-99)で境目を「分水嶺」と記しているのが、本書冒頭の「汽水域」とつながる水にちなんだ言葉遣いで、町田さんらしいです。(でも、分水嶺なら「越える」だと思うのですが、「基準・条件を満たす」という文脈だから「超える」なのかな?)

それからキーワードになっている2つの概念、「任務動作」と「任意動作」。これを私が初めて聞いたのは2017年のAI採点についての議題でしたが、もともと著作物性の画定のために考えていたものだったんですね。AI採点のほうは、最新技術に関わる問題について町田さんがどう話すのか予想もつかずに聞きに行ったのですが、しっかり自分の視点をもって研究対象と結び付けていたのだと、今になって気づかされました。


著作権関連はどこまでOKでどこからNGかわかりにくく厄介というイメージしかなかったのですが、著作権法の保護対象になれば、実演者や振付師の権利を守り、作品をアーカイブする重要性が高まることになります。
町田さんがなぜ取り組んでるかを理解してからは、その姿勢がまぶしいです。

 
ただの感想のつもりが長くなったので、第Ⅲ部以降は改めます。




ついに単行本刊行①

町田樹 著
アーティスティックスポーツ研究序説 —— フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論
 

  *  ∞  *  ∞  *  ∞  *  ∞  *

町田さんの、研究者として初の著書が上梓されました。おめでとうございます。

学術書を発売日に予約して買うなんて、初めてです。
COVID-19災禍により3月の講演会が延期、さらに再調整となり、この本も5月末の刊行予定が遅れてしまいました。書店も営業自粛による休業や短縮営業でなかなか行くことができず、営業再開しても予約を受け付けていなかったりして、はらはらしました。

6月15日出版、町田さんの公式サイトでも15日刊行(発売)と予告されていましたが、店頭発売は16日からでした。私もテレワークを続けていて書店に行けるタイミングが変わるので、やきもきしてしまいました。

 

400ページを超える厚い学術書
落ち着いた色合いの装丁、シンプルだけど重厚さもあり美しいです。書影が出たときから気になっていた円環のモチーフがすてき。

じっくり時間をかけてまじめに読もうと思っていましたが、序章の冒頭から町田語録が炸裂していて、つい笑ってしまいました。
町田さん、公式サイトや雑誌の連載などは、こだわった言葉遣いの合間に素がぽろりと出てしまう文調ですが、今まで読むことのできた論文はさすがにクールダウンして整っていると思います。
でも、序章はだいぶ意気込みが詰まっていて、とばしてますね。アツい。

私はあとがきをわりと先に読んでしまうほうで、今回は学術書だしどうしようかと思っていたのですが、序章の熱気を冷ますために、その次にあとがきを読みました(笑)

そして、あとがき読んで少し驚きました。
いつものようにお世話になった方々に御礼を述べているのですが、競技者時代からご縁のあった先生方もいるのですね。

 比較文化がご専門の先生はパリの芸術、写真評論をされている方なので、町田さんがドアノーの写真に着想を得て「Je te veux」を作ったころからお知り合いなのでしょうか。
学外のゼミに参加させてもらえるなんて、かわいがられてますね。

修士のはじめからたくさんの学会に入って次々に発表をしていた町田さん、積極的に人脈を築いているのが、さすがです。

ところで、あとがきの地の文章は「だ・ある調」なのに、御礼の文末は全部「です・ます調」になっているのが律儀。御礼の箇所が多いので、なんだか微笑ましかったです。


発売初日は序章・あとがきと、第Ⅰ部第一章をざっくり読んだだけで時間切れになりました。
ボリュームたっぷりなので、理解のために少しずつ感想を書いておこうかなと思います。
 

ACTION ゲスト回

TBSラジオACTION、町田樹さんゲスト回を聴きました。

 

出演部分の書き起こしです。

 

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リアルタイムでは聴けず録音したものを確認したのですが、30分弱あっという間でした。

研究者を目指すきっかけ。「ブームから文化へ」とは。アーティスティック・スポーツの魅力。
99パーセント負けてきたから培った、1パーセントの光を信じる力。
SNSメディアリテラシー。採点の尺度。アーカイブの意義。リンク減少の問題。競技の若年化。
次から次に展開していく話題に引き込まれましたが、いよいよ熱くなってきたところで時間切れになってしまいました。わかっていたけど、2時間あっても足りません。ぜひまたゲストに呼んでほしいです。


まとめていて気付いたのですが、
序盤の「研究者として培われてきた第三者の視点はあるか」という質問に対して、
研究者を志した動機を話しただけで次に行ってしまってますね。
町田さんの考えるフィギュアスケート像について、技術と感性の合わさった演技について、
研究者として広がった視野から、改めて語ってほしいなぁと思います。
もちろん実演家として実践してくれてもいいんですけどね(涙)

引退発表のあと、始めたばかりのこのブログを1年以上も更新せずにいました。
自分としては放置していたわけではなくて、いくつか書きかけて何度も編集しているのですが、
演技映像を見るとこみ上げる想いもあり、なかなかまとめられないのです。
だいぶ落ち着いたので、細々と更新するかもしれません。
















 

ORF2017

4年前、ヘーゲルの美学講義を「わからない」と言いながら読んでいたアスリートが、五輪で闘って、そして研究者の道に進んで。

次の五輪シーズンには、スポーツの未来のために必要な哲学を示している。

  

2017年11月22日、慶應SFC・ORF2017に一般参加し、パナソニックのセッション

「最先端のテクノロジーが拓く スポーツの未来」を聴講してきました。

セッション映像が公開されたときにでもと思って感想をまとめていたのですが、なかなかアーカイヴされないようなので、あえて今、出しておきます。

 

  *  ∞  *  ∞  *  ∞  *  ∞  * 

 
パナソニックのセッション、町田さんの発表は周りを圧倒していた。

アイスショーで彼がそうしてしまうように、会場の視線をひきつけ、皆の心をもっていってしまった。

 

他競技の特性まで調べてくる十全な準備。新しく言葉を定義してのオリジナルな分析。

事例報告や課題提案だけに終わらせず、その場で討論を試みる。

トップアスリート同士で論じる貴重な場を存分に利用していたし、

スポンサー側の岸部さんのプレゼンからvenueの語をつかみ、懸念しているリンク減少問題の説明につなげたのも機知があった。

 

とにかくセッションがどう展開するかハラハラしたし、試合を見るようにおもしろかった。

学会やら市民講座やら、学生時代から何度かそういうものには行ったことがあるけど、こんなにライブ感や熱気に包まれたのは初めてだ。

 

そして町田さん自身、知による闘いを楽しんでいるようだった。 

 

議論の焦点は、人間が技術をどう利用し、どこまで審判を委ねるかだ。 誤審の有無や自動採点の是非ではない。

自動計測によりバイアスが除去でき、採点作業が効率化して審判も選手も負担が減るなら、導入すればよい。

 

しかし、その境目はどこなのか。

 現在のシステムで計測・数値化できないものは何か。AIならそれを学習してジャッジできるようになるのか。

 体操競技で自動採点が進んでいる「任務動作」においても、たとえば剣道の気勢や残心は測定できない。

まして「任意動作」の美まで機械が測定できるのか。

そして、アーティスティックスポーツは、AIに自動採点される美を目指していくのか。

  

町田さんは、不完全な人間だからこそ、高性能なシステムを使うために思考が必要であることを示した。

それは哲学だ。

哲学は、実学なのだ。

町田さんがそう言ったわけではないのだけど、しっかりと思い知らせてくれた。

 

そして丁寧な敬意で覆われていたけれど、町田さんは競技者らしく非常にしたたかだった。

精神性や美は機械測定できるのか。フィギュアスケートの作品を人工知能はどう評価するのか。

それはつまり、「私を測定できますか?」という挑戦状だ。

 

町田さんは、アスリートの魂をもっている。競うことはお互いの技術を高めることだと知っている。

だから、セッションのスポンサーを含めたシステム製作側に笑顔で握手をしながら、

シンギュラリティへの挑戦を呼び掛けたのだ。 未知の領域を拓くため、互いに知力を尽くそうと。

 

フィギュアスケートで町田さんが目指してきたのは、AIが学習済みの、自動判断される美ではない。

研究の一環と称しながら、エンターテインメントとして予想を越えた作品を見せてきたのだ。

初めて解説を務めたときも、自分にしか言えない表現で視聴者を楽しませてくれた。

AIに仕事を奪われるはずのない人だ。 

 

私がフィギュアスケートのなかでも特に町田さんの演技に惹かれるのは、美の表現を、新鮮な驚きを、意志を持って伝えてくるからだ。

彼の作品は人間である私たちにこそ向けたものだ。

当たり前だけど、だから私は感動するのだ。

セッションのメモをまとめていて改めて気づき、幸せで涙が出た。

 

そして、人間がやるものは人間が採点するから面白いと言った、棟朝さんの率直な意見も。

熱気に満ちた会場で涼風が吹くようだった、剣道の精神を尊重する鷹見さんの凛とした姿勢も。

トップアスリートらしい強い誇りがあり、すがすがしかった。 

 

町田さんの研究への挑戦と情熱、フィギュアスケートへの愛が伝わるセッションだった。

フィギュアスケートのファンではない人でも、研究者としての町田さんのファンになっただろう。

学術セッションでこれほど昂奮し、多幸感を味わえるとは。期待を越えたすばらしい時間だった。

 

一般に公開された、貴重な場を提供してくださった、主催のORFの皆様。スポンサーのパナソニック様。

魅力的なパネリストを選び、的確に指摘し、まとめながら進行された牛山先生。

本当にありがとうございました。

 

2017年11月22日 慶應義塾大学SFC ORF2017

<パナソニック株式会社スポンサーセッション>  最先端のテクノロジーが拓く スポーツの未来

パネリスト:岸部明彦、鷹見由紀子、町田樹、棟朝銀

コーディネーター:牛山潤一

 

  *  ∞  *  ∞  *  ∞  *  ∞  * 

濃密なセッション、学生時代よりも必死なほど、顔をあげる間もないくらいにメモをとりました。

その内容のレポは既に興味ある方々には読んでいただいたのですが、次のORF開催までに映像があがるのを信じ、ここにあげるのは見送ります。

 

 

2週間前の6月15日に町田さんの公式サイトでプロスケーターからの引退が宣言されました。

今までのプログラムについて改めてこのブログにまとめかけていたところだったので、私自身も総括的な気持ちになっていたタイミングでした。

 

院を出て数年はアイスショー出演と研究活動を並行するのではないかと願っていたので、今はまだ驚きとさみしさのなかにいます。

気持ちを前に向けるために、このセッションで感じたことを反芻してみています。

 

町田さんの未来がさらにすばらしいものとなるよう、心より願います。